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仙巌園
《仙巌園から望む桜島》
仙巌園(せんがんえん : 別名 磯庭園)は鹿児島市の吉野町磯地区にあります。近代日本の産業革命の舞台となった仙巌園、尚古集成館が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されたことをきっかけに、先日、訪れてみました。
仙巌園は1658(万治元)年に19代薩摩藩主島津光久が築いた別邸です。「磯庭園」とも呼ばれますが、「仙巌園(せんがんえん)」が正式名称です。島津家は18代藩主島津家久が城山に建てた鶴丸城ですが、仙巌園は島津家の別邸として後の藩主に代々受け継がれました。
《仙巌園入口》 《正門》
写真左は入口です。この日は結構たくさんの観光客で賑わっていました。しかし、この入口は本来の正門ではなく、ここから少し離れた所にある門が正門(写真右)で、手前に柵がしてあるので、ここから入ることはできません。
入口から入って直ぐ正面に大きな大砲が見えます。
19世紀、イギリスやフランスなどの西洋の列強がアジアへ進出してきます。1984年には清国(中国)とイギリスの間にアヘン戦争が起こり、清国は一勝もできないままイギリスに敗北し、その後、西欧列強の半植民地の状態にされます。アジアの大国、清国の敗北は日本へも伝えられ、有識者たちに強い衝撃を与えたと言われます。日本にとっての脅威は、強力な大砲を備えた軍艦でした。この軍艦を打ち払うために製造されたのが鉄製の大砲でした。写真の大砲は、鉄製150ポンド砲を忠実に復元したものです。約68㎏の鉄製の丸い弾を約3㎞飛ばす威力があったそうです。
《反射炉の模型》
鉄製150ポンド砲の隣に反射炉の模型が置かれています。
西欧列強のアジア進出に強い脅威を感じていた薩摩藩28代藩主島津斉彬は、1851(嘉永4)年に藩主となると仙巌園に溶鉱炉・反射炉・鑚開台(さんかいだい)を築き鉄製砲の製造に着手します。
鉄製砲は、鉄鉱石を溶鉱炉で溶かして銑鉄を造り、それを反射炉で再び溶解して砲身を鋳造し、さらに鑚開台(さんかいだい)で削り砲腔を開けてつくられました。
《反射炉跡》
反射炉は1863年の薩英戦争の際、イギリス艦隊の砲撃を受けた際に損傷し、その後解体されて、現在は基礎の部分だけが残っているだけです。かつては、この基礎の上に高さ20メートルほどの炉がそびえ立っていたそうです。
《御殿》
《鶴灯籠》
《尚古集成館》